まずは曲道さんのご出身を教えて下さい。
生まれは鹿児島で出生後すぐ横浜に行き5歳まで過ごし、それからずっと宮城県富谷市で育ちました。
どんな家族に囲まれて育ちましたか?
父、母、兄の4人家族、父親は職人でザ・頑固者っていう感じで母親は柔軟な性格です。本当、好きな事を好きなだけやらせてもらっていた環境でした。自分で世帯をもって子供ができると、両親のありがたみはとても感じています。
兄とも実家に居た時と比べると良く分かりませんが距離は縮まっている感じはします。
現在は3児の父として仕事に奮闘しています。
人付き合いで心がけていることはありますか?
私の性格になりますが着飾らないで生きている事です。ゴマをすったりできない人間なので(笑)
家にいる時は嫁さん任せで全然動きませんが、なるべく空気読んで動いています。
食器を洗う、片付けるとか…(笑)
何をしている時が一番幸せですか?
仕事が終わって、家に帰り子供たちの顔を見た瞬間。
ポイントは「瞬間」です。
帰ってきてドアを開けた瞬間に「パパ~」と言って迎えてくれる、優しくなれる瞬間です。
どんな少年~青年時代でした?
横浜にいたときからボール蹴りをし、スポ少から始めて大人になるまでずっとサッカーをしていました。高校生の時はサッカー選手になるのが夢でした。
専門学校で保育園の資格を取り保育士として活動した後、販売職、営業職と人と関わる仕事をし続けてきました。
仕事の一つに引越し業があり、朝8時から夜11時ととてもブラックな業界でも働いていました。
大変な仕事でしたね…。
営業職だったのですが、繁忙期は現場作業。運転手兼作業員として仙台から関東まで引越業務をしていました。
大変でしたが周りの人たちのお陰で続けてこれました。
いつ介護業界に入りましたか?また、きっかけを教えて下さい。
2018年の6月からになりますので、現在で7年目です。
きっかけは仙台で介護施設紹介業を立ち上げた人が地元の先輩でした。
地元の人たちがBBQであつまる機会があって「入れて下さい」といったら「いいよ、社長に言っておく」と。
それがきっかけです。
これまで介護・福祉に関して接点は全くありませんでしたが上司でもあり先輩でもある方がきっかけです。
当時は、この業界の奥深さにのめり込むとは思っていなかったです。
その方と仕事をする事がなければ今の自分は無かったと思います。
起業のきっかけとなった相談所ではどんなお仕事をされてましたか?
主に新規開拓でした。施設関係者に営業をしにいって、「こういう事業をしている」と。
ケアマネ、地域包括支援センター、病院、施設などに足を使って「顔を出す」。
・事業内容を知ってもらう
・僕を知ってもらう
これを大切にしていました。
仕事をしていて楽しい、これがあるから続けられるというところを教えて下さい
ご相談をいただき、入居まで至る、至らない関係なしに感謝させる事が多いと感じています。
感謝される事は嬉しいですし、やりがいはそこにあるかもしれません。
介護施設の紹介を希望される方は急ぎのパターンが多いです。
・同居する本人が認知症で、家族が疲弊している。
・遠方に住んでいるため状況が分からない。
本人が認知症のケースが多いため、ご家族の負担を減らすため丁寧かつスピード感ある紹介が必要とされます。
この業界の問題点はありますか?それはどのようなものですか?
報道では介護施設での事件、職員不足での事が多く取り上げられていますが、
私の仕事内容の視点から行きますと介護認定が低い生活困窮者、生活困窮者になれない。
低所得者層の受け皿が少なすぎる事。運営側からしても難しい事なのも分かるので何かしら補助金なり制度的なものがあれば運営側も動く方が出てくるのではないかと思います。
ご紹介が難しい方に関しても「無いですね」とは言いたくありません。
ちょっと時間をもらって最低1箇所でも「こういったところありますよ」と言える努力をしたいと常日頃考えています。
条件を度外視して歩み寄って頂ければ、施設を見つける可能性が生まれます。
契約施設は関係なし、ボランティアでも提案したい…と寄り添っていくという考えです。
最後の質問です。この会社、ひいてはこの業界を今後どのようにしていきたいですか?
会社としては、「分からない」に対して少しでも解決に導ける会社「感謝」し「感謝」される会社を目指しています。
業界としては実際に言われたことも多々ありますが、入居者紹介業と言うと特殊なのかなと思います。でも、使って良かった。と最終的には思ってくれている方も多いと思います。同業他社も増えている事もあり需要の高さもありますが、弊社として繰り返しになりますが関わらせていただく方々の「分からない」を解決に導くお手伝いをさせていただきます。